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映画のなかのフットボール・フィールドワーク 第二回

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サポーターのグローカルな世界闘争~「ロミオとジュリエット」と「クラシコ」

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現代のフットボールは総力戦である。

そして、フットボールの総力戦の概念では、クラブチームのみならず、サポーターも総動員されることになる。

サポーターはピッチでは戦うことが出来ない。しかし、声を轟かせ、カラーで鼓舞して戦いに参加することは出来る。スタジアムのゴール裏は、そうした総力戦の中心地帯だ。
しかし、それだけではない。戦いは、ピッチを取り巻くスタジアムの中から、さらに外へ外へと広がりつづける。
それがサッカーにおける総力戦の概念だ。そして総力戦だからこそ、サッカーは単なるスポーツ競技ではなく、エンターテインメントであり、そして文化として成立する。

スタジアムの行きかえりにはサポーターの意気を殺ぐための、通商戦のような威嚇合戦が繰り広げられている。
まさに「家を出て、帰るまでがJリーグ」だ。
レプリカのユニやチームカラーを身にまとったサポーター同士がスタジアムに向かう道すがらにすれ違うたびに緊張感が走る。そこから戦いは始まっている。
家に帰れば、ネットの中で、あたかも敵のプライドの補給路を断とうとするが如き、プロパガンダの流布による情報戦が日夜行われている。

そうして哲学と思想と信仰がぶつかりあう戦いに、サポーターとして望むのだ。

「選手は僕らの代表かも知れない。だが、本当の戦いは、2つの街の間でおこなわれる。戦争のパロディのなかで、一個のボールが村と村のあいだをいったりきたりする。これがサッカーの起源ではなかったのではないか?」

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狂熱のシーズン(ティム・パークス)

そのようなサポーターカルチャーとサポーター思想は、世界に普遍的なものとなりつつある。地球上のどこかで、日夜そのようなフットボールを巡る総力戦が行われているのだ。
グローカルな世界思想のひとつを、ここでわたしたちは、フットボールの言語を通じて観察することができる。

映画の中に、その実例をサンプルとしてみてみよう。
今回は、そのフィールド・ワークは、インドネシアと日本の長野と松本である。
 
まずはこのような作品をあげてみよう。インドネシアの映画である。

「ロミオとジュリエット」 (原題:Romeo Juliet)
http://www.bogalakonpictures.com/romeo-juliet/
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そういう機会があれば、ことあることに言ってきたのだが、アジアで一番サッカーの国内リーグの人気があるのは、実は日本ではなくインドネシアだと思う。

これはACLでインドネシアに行ったことのあるものは皆知っているだろうが、彼らのサポーターカルチャーがアジアで飛びぬけて進歩を遂げていることは、この映画のあらすじを見るだけでわかるだろう。

Official Romeo Juliet Trailer from panji on Vimeo.

【あらすじ】
ランガはジャカルタのインドネシアリーグのクラブ・プルシジャFCの熱狂的なサポーターグループ「ジャックマニア」のメンバー。

ある日、敵対するペルシブ・バンドンFCのサポーターグループ「バイキング」のメンバーが乗ったバスを待ち伏せておきた乱闘に、ランガと仲間は巻き込まれる。このとき、バイキングのメンバーである少女に出会い、そのことを彼は忘れられなかった。一方、デシというその少女も、ランガのことが気になっていた。

ランガは、敵のホームであるバンダンの町で、危険を省みずに、ほとんど手がかりのないままで少女デシを探すことを決める。そして、ふたりは再会し、そして激しい恋におちた。もちろんこれが許されない恋だと知りながら。

少女デシの兄、パーマンはバイキングのリーダーである。パーマンは妹の恋人がジックマニアに所属している敵のサポと知って怒り狂い、妹に監視をつける。

一方、ジャックマニアのサポーターグッズを売る。

ランガは、ジャックマニアから裏切りもの扱いされることになった。二人の努力もかないく、ランガとデシは二人の愛のために、二つの憎しみあうサポグループのために戦うことになる。 

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ロミオとジュリエットのインドネシアのサポーター版というこの映画、こんなモチーフと設定をもとに映画が成立するというのはどういうことなんだろう。日本よりもディープにフットボールカルチャーがあまねく膾炙されているからに他ならない。

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東南アジアサッカーの事情を語らしたらこの人に並び立つものはいないと言われていた、ドラゴン・フットボールのおが議長によると・・・

男の所属:ジャックマニア(ジャカルタのチーム・プルシジャのサポ集団名)
女の所属:バイキング(バンドンのチーム・プルシブのサポ集団名)

・・・というところにもポイントがあるとのこと。

女のコの所属するバイキングがサポートするプルシブのホームのバンドンというところは、美女が多いことで有名。確かに、この映画の「ジュリエット」もたいそうキュートである。

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けれど、言葉はインドネシア語とは違う地方らしい。ようするに訛っているわけだ。
逆に、ジャックマニアのサポートするプルシジャのホームのジャカルタは都会。

日本でいうならどうなんでしょうか。例えるならば、インファイトのリーダーの妹とURAWA POINTで働くレッズサポの、サポーター間抗争の中の激愛といったところか。

鹿島サポと浦和サポの恋が、こんな設定で映画のストリーテリングのテンションとなりえるのはいつの日のことなのか?

(なお、ドラゴンフットボールのおが議長によれば、この監督Andibachtiar Yusuf はインドネシアのサポのドキュメンタリーを3つくらい 作っているとのこと。
※そのうちのひとつ、映画「ジャック」
http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=18494105)

別にそれがファナティックで時にマッチョイズムに陥ることがあっても、自分はかまわない。(まあ、自分も含めていい年こいてやるもんじゃないとも思うのであるが)

まあ、アメリカ人の女性監督がつくったからなのかは知らないが、妙に教訓めいた悲劇に帰結する、こんな映画みたいになると、さすがの自分もだだっぴきではあるもののの。

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[映画]フーリガン

さて、今度は日本。

日本では、まだサポーターカルチャーが地域や文化を背負って立つところまでは、まだ遠い。

トルシエが日本のフィジカルエリートは全て野球がもっていってしまったと嘆いていたことがあった。それと同じく、地域性や地方のアイデンティティを吸引しているのはまだまだ野球だ。

それでも野球にはクラブカルチャーは存在しない。企業スポーツではなくて、自分たちがつくる熱狂の中に物語は沸々と日本でも煮え立ちはじめていると信じたい。

そこで例えばこの映画。

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地方や地域のアイデンティティを地霊のように引き寄せて、例えそれがインスタントなモジュール的な導入やコピー&ペイストな引用であっても、ここまでやれれば、フットボールのなんなのかは少しわかりはじめてくるのではないか。

今、サッカーファンの間で密かなブームとして語られる“地域リーグ”がドキュメンタリー映画になった!

この作品ではJリーグの下のそのカテゴリーの中で最も激戦と言われる“北信越リーグ”を取り上げ、さらにその中でも最もアツイ“信州ダービー”のリアルな姿を描きます。

撮影期間は1年をかけて信州の四季を入念に描き、撮影時間も164時間を数えて数多くの人々と事柄に迫ります。

サッカーを通じて明らかとなるその土地に横たわる因縁の真実とは?

果たして“信州ダービー”はついに決着するのか?

××ダービーとかいうシロモノのほとんどはニセモノと断言していいと思う。
「横須賀海軍カレー」や「宇都宮餃子」と同じく、マーケティングでできたのが正体。

しかし、この映画で取り扱われている、ちょっと違うものがある。
そもそも松本山雅F.C.とAC長野パルセイロの試合が、なぜに「信州」ダービーなのか。
それには、歴史や地域を掘り起こさないと理解できないものがある。ドキュメンタリー映画のミソのひとつだ。
 
少ないサポを前にしたコールリーダーのアジテーション、近所の呑みやの親父の終わることのない試合のグチのトーク、ここには懐かしい光景がある。それが現在進行形の話であっても、懐かしさを感じるときには、そこに起源を感じるからだ。
これは日本の地域リーグの今を撮っただけの作品ではない。このドキュメンタリー映画には、フットボールの起源がとらえられている。
  
サポーターの世界闘争は、すなわちどこかに飢えた心をもつ近所の親父や、はたからみたら奇妙にしかみえない使命感をもった孤独なサポーターや、突拍子もない野望を抱いたサッカー好きから始まるのだ。

すべてはここから始まった。まるで、旧約聖書の最初の『創世記』を読むかのように、グローバルであり、同時にローカルであるフットボールの第一日目が、温かくユーモアをまじえてスクリーンに映しだされる。それがひたすら楽しく、懐かしいのだ。

松本での上映から、まだこの映画が次に公開されるのは決まっていないそうだ。
こんな貴重なドキュメンタリーのサッカー映画がこのまま埋もれてしまうとしたら至極残念である。なんとか公開してもらいたいものである。

ローカルであることを追求していくうちに、グローバルなものに昇華していくことを「グローカル」という。インドネシアのサポーター映画も、信州を二分するクラブのサッカー映画も、グローカルなサッカーシーンをまざまざと教えてくれる。

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清義明 a.k.a. masterlow
NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク代表理事
BLOG:フットボールは未来の兵器である REDUX


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