ワールドカップアジア最終予選B組
北朝鮮VSサウジアラビア 現地レポート (黄慈権)
テレビ放送は勝利の証
2008年12月にチリで行なわれたFIFA U-20女子ワールドカップ。北朝鮮では、準決勝のフランス戦までテレビ放送された。アメリカとの決勝戦はテレビ放送がなかったが、北朝鮮国民はこれで十分理解する。「ああ、決勝は負けたんだな」と。
基本的に北朝鮮において、スポーツのライブ中継は行なわれない。負け試合を放送するのは国家の威信に関わるのだ。
テレビ中継は、解説も実況も録画した映像に合わせるし、何より結果が分かっているので、興奮度は落ちてしまう。
国民に向けて堂々とテレビ放送ができるのだから、放送が始まった時点で勝利。最低でも引き分け。放送されなかったら負けなのだ。そんな北朝鮮で、「勝つか? 負けるか?」の興奮を味わおうと思ったら、競技場に行くしかない。
だからこそ、平日昼間のチケットはすぐに完売し、席を求めて長蛇の列が生まれる。試合の2時間前には会場のキムイルソン・スタジアムは満員であった。

大混戦のグループB
2月11日の試合前、アジア最終予選グループBの順位は、1位韓国で勝ち点7。2位イラン、勝ち点5。3位北朝鮮、勝ち点4。4位サウジアラビア、勝ち点4。5位UAE、勝ち点1である。最下位のUAEを除き、勝ち点3の間に3チームがひしめく大混戦である。
最終予選が開始される前、グループBは韓国、イラン、サウジアラビアの3チームで1位、2位を争うと考えられていただけに、北朝鮮の健闘が目立つ。
北朝鮮国民も正確な情報は知らされていないが、「どうやら良い戦いをしている」ということまでは分かっているようだった。2月11日の朝には、「体育速報」というスポーツ新聞が配られ、正しい情報も出てきたし、そこでは敵国サウジアラビアの予想フォーメーションも掲載されていた。
ちなみにサウジアラビアの戦力分析を行なっていたのはリ・ドンギュ。かつては、東京教育大学(現・筑波大学)のキャプテンを務めた名選手でもあった。
そのリ・ドンギュの戦力分析にも書かれていたが、ワールドカップ出場のためにもう負けられないサウジアラビア代表は、寒さ対策として、日本の仙台で合宿を行なっていた。
しかし、2月11日のキムイルソン・スタジアムの気温は10℃。ピョンヤンの2月の平均気温は-4.4℃であるため、相当暖かい。北朝鮮代表にとっては誤算であるし、サウジアラビアにとってはチャンスと言える。入念にアップさえすれば10℃はもっともサッカーに適した気温といって良い。
北朝鮮のスター
北朝鮮のフォーメーションは3‐5‐2。もっと具体的に言ってしまうと、5-1-2-2に近い形だった。ツートップはロシアリーグ、FCロストフに所属するホン・ヨンジョと、川崎フロンターレのチョン・テセ。この二人が攻撃の中心だとすると、守備の中心はワンボランチの位置に入っている水原サムスンのアン・ヨンハッ。この海外組3人が、北朝鮮のスターであり、中心選手といって良い。中でもこの試合、アン・ヨンハッの役割は大きかった。
右サイドバックのチャ・ジョンヒョッ、左サイドのチ・ユンナム。どちらも選手登録はFWであるし、ツートップの下に位置するMF、パク・ナムチョルとムン・イングクも攻撃型の選手だ。よって広大なスペースをアン・ヨンハッ一人で埋めなければならない。事実、前半開始直後、北朝鮮は何度も攻められ、劣勢に立たされた。
北朝鮮の特徴が出た先制点
試合が開始すると、サウジアラビアは4-2-3-1のトップ下に入った8番、モハメド・ヌールを中心に攻める。前半7分には右サイドからのクロスにサウジアラビア11番、スルタン・アル・ヌマリがシュートするが、これは北朝鮮のチャ・ジョンヒョッが体を張って防いだ。韓国とのホーム試合を中国・上海で行なっている北朝鮮はこの試合がピョンヤンでの最終予選初試合。序盤はプレッシャーからか、動きが硬い。しかし、北朝鮮にとって幸運だったのはサウジアラビアが「アウェーの戦い」をして、慎重になってくれたところだ。
攻撃に関して少し人数のかけ方が甘いサウジアラビア。こうなると、豊富な運動量と高い危険察知能力を誇るアン・ヨンハッにボールを奪取される。すると、北朝鮮の最終ラインは高く上げることが可能になり、次第に攻撃の形もでき始めた。
そして前半29分、攻めの中心が魅せた。ロングボールをチョン・テセが競り勝つと、チョン・テセはホン・ヨンジョへヘディングでパス。ホン・ヨンジョは持ち前のトリッキーなヒールパスを、MFムン・イングクへ。167cmと小柄ながら、北朝鮮代表でトップクラスのセンスがあるムン・イングクは、アブドゥラ・アルドサリーの裏に走りこむと、GKのワリード・アリの下を抜ける鋭いシュートを決めた。
チームに初めて合流したとき、チョン・テセとホン・ヨンジョの連動性はそれほど良いものではなかった。我が強いタイプであるチョン・テセと、北朝鮮のエースであるホン・ヨンジョ。二人ともプライドが高くなかなか譲れない部分があったのだろう。しかし試合を重ねるごとに、この二人のコンビには阿吽の呼吸が出てきている。FWだけなら北朝鮮代表の実力はアジアトップクラスと言えるかもしれない。
その後、サウジアラビアの攻撃を受ける北朝鮮だが、アン・ヨンハッを中心に守り、前半を1-0とリードして折り返した。
観客が沸いた選手交代
後半も同じメンバーで戦う北朝鮮代表だったが、55分過ぎにアクシデントが起きる。相手と競り合い倒れた際、アン・ヨンハッが肩を負傷したのだ。右手が垂れ下がり、ほとんど使えない状態で必死にプレーするアン・ヨンハッだが、どうしても本来のプレーはできない。
監督であるキム・ジョンフンと何か言い合うアン・ヨンハッ。観客からは「自分を交代させるな!」と訴えているように見える。しかし67分、アン・ヨンハッは途中交代を余儀なくされた。交代するアン・チョルヒョッと抱き合い、観客に礼をするアン・ヨンハッ。このとき、満員のキムイルソン・スタジアムが沸いた。
「よくやったー!」「最高だ!」
観客席から大きな拍手とともに、アン・ヨンハッに対する声援が送られていた。
必死の守りからカウンターを狙う北朝鮮
アン・ヨンハッを負傷で失うと、北朝鮮は得点を決めたムン・イングクをボランチの位置へ。ホン・ヨンジョをMFに下げるが、やはり守備能力の低下は如実に現れる。中盤でボールを奪取できず、ディフェンスラインは下がり続けた。
83分には、ぽっかりとスペースができたペナルティエリアの外から、アル・カタニがゴール左隅を狙いすましたミドルシュートを打つ。一瞬「同点か?」と思われたが、北朝鮮GKのリ・ミョングクが素晴らしいパンチングを見せ、得点を許さない。観客からはここでも大声援が送られた。
「ムン・ジ・ギ! チャ・ラン・ダ!(キーパー、うまいぞ!)」
何度も攻められる北朝鮮代表であるが、最後の最後で踏ん張り続けると、チョン・テセのカウンターにすべてをかける。試合終盤には、ロングボールを受けたチョン・テセが、ディフェンスをかわしてシュートを打ったが、ボールはゴールを外れた。
その後もサウジアラビアは攻撃を続けるが、それをギリギリで防いだ北朝鮮代表が薄氷を踏む思いで勝利をつかんだ。

最高の娯楽を楽しむ北朝鮮国民
北朝鮮国民にとって、この試合はおそらく最高の娯楽であっただろう。北朝鮮には日本のようにいろんな遊びがあるわけではない。そんな国で、ハラハラ、ドキドキしながら声援を送り、メッセージを伝えることで試合に参加する。北朝鮮の観客はこの娯楽を心から楽しんでいた。
サウジアラビアの選手が、オーバーに痛がるとそれを見て笑い、ホン・ヨンジョがトリッキーなフェイントを見せると拍手を送り、チョン・テセがオーバーヘッドを見せれば「チョン!テ!セ!」とコールをする。特にこの「チョン・テセ・コール」には驚いた。
1980年から北朝鮮代表には在日朝鮮人の選手が参加していたが、これまでにこんな声援を受けたことはなかったし、「選手の名前を観客が合わせて叫ぶ」ということもしていなかったはずだ。サウジアラビアのフリーキック時まで、蹴るタイミングに合わせて、「オー、オイ!」とやってしまうのはご愛嬌だが、これだけ純粋に試合を楽しんでいる観客を見ることも、僕は楽しかった。少しずつテレビを見て、応援も真似している北朝鮮国民は、サッカーやワールドカップを「手に入れたばかりのおもちゃ」として楽しんでいた。
8時からテレビ放送
昼の3時に行なわれた北朝鮮対サウジアラビアの試合は夜の8時から、北朝鮮のテレビで放送された。この時点で多くの国民は気づいたはずだ。
「あっ、今日は勝ったんだ」
結果が分かった後でも、この試合は面白かったであろう。スター選手であるチョン・テセ、ホン・ヨンジョ、アン・ヨンハッが活躍し、自国が勝利した。
けれども、ライブ中継で見るようなドキドキ、観客席の人たちのような興奮はなかったように思える。何しろ結果が分かっているのだ。
3月28日、北朝鮮のホームで行なわれる、UAEとの試合は、不可能かもしれないが、ライブ中継を行って欲しいし、音声は観客席の声を中心にして欲しい。これほどの娯楽をたった5万人しか味わえないのももったいないのだ。
それに、仮に負けたとしても良いではないか。サッカーでは負け試合も「最高の娯楽」になりえる。北朝鮮の喫茶店でも苦いコーヒーが出てきた。苦味だって、知れば美味しく味わえるのだから。

【選手のバスを見送る北朝鮮の観衆】



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